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青猫文具箱

青猫が集める、本と文具と思考のかけら。

通勤時間に読むエッセー本にはしおりを挟まない。

本と日常

最近通勤時間に読んでいた山内マリコさんの『買い物とわたし』をとうとう読み終わってしまいました。満喫した!というより、腹7.8分目くらいの絶妙に足りない感じの読後感で、ほんのり飢餓感もある気がして、余韻を引きずってます。いい。とてもとてもいい。名残惜しい。

買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて (文春文庫)

買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて (文春文庫)

 

自分で稼いだお金で好きなものが買える自由を謳歌しつつ、財布の事情だったり重ねた年齢分の「似合わなくなる」ほろ苦さをかみしめたりしながらも買い物を楽しんで身の回りの物を揃えていくお買い物エッセイ。週刊文春で1年間連載されていた文章をまとめたもので、1篇1篇ががさらさら読めるので平日朝の通勤時間、だいたい2篇ずつ読み進めてました。

最初は、友達を待つ間の喫茶店での時間つぶしになんかないかな、と買った本だったんですが、買い物へのときめきとかフィーリングが自分と合ったみたいで、1篇読むごと、ふわふわ幸せな気持ちをちょっとずつお裾分けされてる気分になれました。良い。

本のバカ買い

全部読み切れるわけじゃないことは、百も承知の上である。買ったもののろくにページもめくっていない本が、本棚の1/3近くを埋めているといっても過言ではない。だけど、本に関しては身銭を切ることが大事なのじゃ......と偉そうなことを言うつもりはなくて、ただ単にわたし、本を「読む」のと同じくらい、本を「買う」のが好きなんだと思う。

この最後の一文とか、何がいいとか文章にできないんですがすごく好きだなぁと思うんですよ。恋のようなときめきがある。他にも着物やデスク、手帳、靴やカバンや化粧品などなどのちまちましたエピソードを本当に楽しげに書かれていて、読んでるだけで買い物のときめき思い出してお伊勢丹に飛び込みたくなる。ルミネでもいいけれど、もう少し落ち着いた感じのキャピキャピ感ぽいやつ。

本当はこの引用したエピソード以外にも、通勤時間読んでいて「うわいいなぁ、この文章。気持ちわかる」みたいな一節がたくさんあったんですが、時間つぶしに買った本という導入のせいか、しおりもフセンも使う気が起こらず、かといって本のページを折るのはなんとなく好きではないので、どこにそれが書いてあったか思い出せません。喉元までは上がってきてるような気持ち悪さ。でも思い出そうと思いながらページを繰り戻したり、どこまで読んだか忘れてほんのり読んだ記憶のあるエピソードを最初からさらうの楽しい。

しかも多分、その時その精神状態で読んだからこそ「いいなぁ」と思ったけれど、後から読み返すと「そんなこともないか」てのも多いんです。実は引用した本のエピソード、読んでる最中はもっと気持ちが浮かんだはずなんですが、今読み返していて、「本当にそんな心浮き上がったんだっけ?」てちょっと首を傾げてみたり。

しおり挟まず読む本というのって、少しずつしおりの位置を変えて読み進めるのとまた違う心の満たされ感あるよねと。感覚的なものですが、目的のない旅感があります。こう、新幹線で行った旅先で有名な観光地をパキパキっと回って名物のご飯を食べて人気のお土産ものを買って、というよりは、だらだらと普通列車で行く旅っぽい。気が向かなかったらホテルで地元スーパーのお惣菜買ってちまちまつまみながらローカル番組見るような感じ。

うれしい悲鳴をあげてくれ (ちくま文庫)

うれしい悲鳴をあげてくれ (ちくま文庫)

 

ちょっと前はこれも好きだったかなぁ。最後のページが終わっても、あまり読み終えた、という感じではなくて、音楽のプレイリストをループ聞きしているようなほんのり惰性感のある読書を楽しめました。言葉にリズムがあって、でもそれがゆるい感じで楽しかった。やっぱりなんだか名残惜しさというか腹7.8分目くらいのほのかな物足りなさ。