ロックは初期衝動って聞いた。
自分の中で音楽って「なくなったら寂しいけど死ぬほど困りはしない」カテゴリで、だからロックもクラシックもJPOPも記号的消費っぽく消費できるのですが、子供時代の刷り込みで「ロックは初期衝動だ」て信じてます。
きっかけは若木未生先生の小説「グラスハート」シリーズの一節です。
GLASS HEART いくつかの太陽 GLASS HEARTシリーズ (バーズノベルス)
- 作者: 若木未生
- 出版社/メーカー: 幻冬舎コミックス
- 発売日: 2015/04/01
- メディア: Kindle版
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消費される音楽は、本気でやればやるほど危ねぇんだ。
寿命が短い。
(ロックバンドの肝ってのは、初期衝動だから)
内側から湧き上がってきた衝動を、音や言葉にせずにはいられない。その最初の衝動を音や言葉にしてかき鳴らしたらロックになる。
この場面には続きがあって、古参バンドのマネージャーが、替え玉の青二才ギタリストに言うんですね。
スゲエな、と俺は言った。ウマイな、と高岡に言った。高岡はぜんぜん喜ばなかった。こういうものをウマイって言われちゃ困る、とあいつはそのとき言った。
俺に言った。
ブーギーズのメンバーがひとりも顔を見せていなかった、そのレコーディング現場で。今日よりもっと寒かった、そのスタジオで、俺に。
『続けるために続けてるんですか?』
(グラスハート「いくつかの太陽」-目を覚ませ-)
もう潮時だとメンバーもわかってて、でも愛着があって「終わる」という選択肢が選べない人たちに対して、若く未来があるギタリストが「続けるために続けてるんですか?」て言うんです。
うわって思いました。何それ凄くキツイ。本人たちだって、言われなくてもわかってるだろうに。
そのシーンは子供心に刻まれて、「続けるために続けてる曲」がわかるようになりたいと思いました。初期衝動の終わりがわかるなら、自分はみっともなくなる前に、ちゃんと綺麗に終わらせられる。
注意深く耳を研ぎ澄ませれば気づけるだろうか。レコード会社やテレビ局が上手くラッピングしたら気づけないだろうか。
そんな風に思い馳せてCDショップに入り浸りました、というのがロックなマイブーム第1期の出来事です(本題じゃないので割愛)。
ブログにも初期衝動があると思う。
もちろんそんなこと忘れてたんですよ、子供の頃の話だし。でも思い出したんです。
「人はなぜブログを書くのか?」10人の個性あふれる理由がおもしろすぎる。 - いずれも。
ロックって初期衝動なんだぜーとどこかに書いてあったの思い出して、多分ブログ始めたのもそれに近い何かだった気がするけど公式では本屋のPOPになりたいってことにしてる。これも真実。
「人はなぜブログを書くのか?」という記事へコメントした時のことです。つまり昨日ですね。
ブログを始めたきっかけは?と聞かれたら、そこには初期衝動があった気がします、自分。ある日伝えたい衝動がコップの縁から溢れて書き始めたんじゃないかなー。
そういうブログって、自分以外にもあると思うのですね。最初勢いがあったブログで、いつの間にか更新途絶えた、のをたま見かける。駆け抜けた速さ分、初期衝動が終わったのかな、とか。もちろん、そうじゃないところが多いのもわかってますけど。
そしてこのブログもいつか、初期衝動が終わって「あーブログ書くのかったるいなー」て日が来るんだと思うんです。それとも思いのほかうまくソフトランディングして、日常になるのかしら。どうなのだろう。
そんな未来のことはわからないので保留するしかないのですが、思い出せるかなぁと思うんですね。
続けるために続けてるんですか?
自問してざくって胸に刺さる直前に、自分から終われたら幸福な気がする。損切りって言うんですかね?サンクコスト?
自分て割と、諦めないとか継続するとかそういう言葉好きだし続けられる人間なんですが、でも「続けるために続けてるんだ」になるその前に、綺麗に終われたらみたいな気持ちも持ってる、というそんな話です。