青猫文具箱

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車輪の再発明的「7つの習慣」。

思えば新人時代に与えられてた仕事って、フローチャートをなぞるタイプが多くて、正確さと納期を守ればこなせる仕様になってたんです。それは算数の基本問題に似て、計算式を習い、後は実践で解法に慣れていく感じでした。実践を重ねるほど解法が身体に馴染んで、早く正確に解けるようになる。

そうして自分が解ける解法のパターンを増やして、出来ることが増えていくのは楽しいものだな、と思っていたのです。

 

でも仕事って、それで終わらないじゃないですか。そこから始まりな感がある。

目の前にある仕事をどの解法で解けばいいか、ぱっと見わからないものが増えてくんです。使う解法がわかれば簡単に解けても、問題を読んでどの解法を当てはめるのか判断に時間がかかる。答え(成果)がはっきりするまで、時間がかかる問題も多い。

それでも試行錯誤と失敗を繰り返して解法の見極め精度を上げていって、上司からの細かい修正が減ってくると、いつの間にか新人とは呼ばれなくなってました。

 

そうしているうち、一問終わって次の問題、じゃなくて、同時並行で複数解くのが当たり前になります。後輩とか部下と呼ばれる人が指示を待っていて、自分の先輩や上司がしてくれたように、助言や指示を出して問題を「解かせる」機会も増えてくる。

部下のレベルを見極めて解けそうな問題を任せたり、問題が複雑な場合は解きほぐして細分化したり、途中経過をチェックして必要な指摘をしたり。一人なら時間がかかりすぎて処理できない量にチームで取り組んでいくんです。

それでも、任された問題を順に解いていくと時間が足りなくなって、だんだんと「優先順位をつける」ことを覚えます。こうなると自分で問題を解く機会はほぼなくなって、進捗管理だったり、問題を解く「仕組みの管理」がメインになっていく。

 

そうした経験を積み上げていく中で、土地勘というか経験値というか、問題を解き始める前に「落とし所が見える」ことが増えてきます。あ、多分最後はこの範囲に収まりそうだな、と予測が立つようになる。

それで「先読み」を覚えるんですね。ゼロベースで問題を解くのは効率的じゃないから、仮説を立ててそれを検証する仕事のやり方に変わる。先読みからの逆算で仕事を進められるようになると、不測の事態からの致命的エラーも減っていきます。

同時に、多分あそこがボトルネックになるだろうな、なんてのも見えてきて、先回りして「根回し」する余裕も出てくる。むしろ、急がば回れの方がたいがいは早いことを知って、根回しが当たり前になっていく。

 

その頃にはもう、与えられた問題に対して先読みして動くだけではなく、欲しい答えに合わせて「問題を設定する」やり方を覚えちゃったりもします。ある程度自分に裁量があるなら、天の声に従ってばたばた動き始めるより、先んじて自分から動き出す方が、主導権握れて動きやすいよね、とか考え始める。

そうして上司に仕事をボトムアップで上げていくようになると、指示を出されるだけより上司の反応が見えやすくて、スムーズに立ち回れるようになってくるんです。上司への話しやすさも上がって、認識のズレ(聞いてなかった、思ったものと違った)が入口で発生するクリティカルな失敗はなくなっていく。今はだいたいここら辺にいて、ちょっと仕事が面白いな、なんて思い始めた。

 

それで、です。気がついたんですけれど、これって「主体性を発揮する」領域に入ってきたんじゃないかなと。問題設定して先んじて動こうとするのは「目的を持って始める」要素もある気がする。「重要事項を優先する」はもっと早く、習慣化の領域に来てる感がある。つまりなんだか「7つの習慣」的だな、て思ったんです。

自分が初めて「7つの習慣」を読んでから随分経ってしまったけれど、スティーブン・R・コヴィー博士が言いたかったのってこういうことだったんじゃないのと。理解ではなく実感として、納得できそうな気がしてる。

といっても、要領の悪い自分がしたのは、車輪の再発明的「7つの習慣」で、コヴィー博士が折角用意してくれてた車輪の設計図を使わず、ゼロベースでやっちゃうような非効率な再発明なんですけれど。しかも、コヴィー博士ほど滑らかに回る車輪じゃなくて、劣化版ぽいし、賢い人なら「7つの習慣」を読んだだけでたどり着けていたであろう領域ですけども。

でも、実感した今「7つの習慣」を読み返すと、以前とは違うニュアンスで頷ける部分もあるんです。自分はこの本を、指南書や補助輪としては上手く使えなかったけれど、終わった後のおさらいとしては使えてるのかもしれない。

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

 

車輪の再発明的「7つの習慣」、その入り口ぐらいにたどり着いただけなんですけれど(しかも錯覚かもしれない)、こんな風に本を知るのって面白いのかもしれない、と思った話でした。

 

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